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ユトリロとヴァラドン-母と子の物語― [Exhibition]

2007年7月に千葉市立美術館で観たユトリロ展の記事を以前書いてます。

http://ayanamirei.blog.so-net.ne.jp/search/?keyword=%E3%83%A6%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%AD

16歳からアル中で売れだしてからは、まわりの人間関係に苦しみ、ほとんど売り絵を描いていたユトリロという印象を強く持った当時ですが、それでも「白の時代」と呼ばれる初期の作品には感動したのを覚えています。

絵に力強さがあり、アル中で苦しむユトリロのはずですが、ある種の希望を見出せた作品がたくさんあり、ユトリロ自身も救われるのかなと感じさせるような気がしました。

そんなユトリロのルーツはやはり母親なんでしょうね。

父親を知らないユトリロを語るときに母ヴァラドンの存在抜きにしては語れないというのは、考えてみれば当たり前のこと。

その、母ヴァラドンとユトリロの二人の作品を同時に観覧できる展覧会が、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で、2015年4月18日(土)より開催されます。


>「ユトリロとヴァラドン-母と子の物語―スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年―」
http://www.sjnk-museum.org/program/current/2978.html


ヴァラドンは16歳のときに画家で貴族のヴュビス・シャヴァンヌの家に洗濯物を届けに言ったのがきっかけで絵のモデルを務めるようになり、その後40年間もドガやルノワールのモデルを務めてきた。

たくさんのすばらしい作品に接するうちに自分でも絵を描き始め、画家としての評価を得るまでになったという。

そのヴァラドンの絵をユトリロの絵と同時に見れるわけだ。

こんな機会は二度とないかもしれませんね。

新宿の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で6月28日(日)までの開催です。
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スュザンヌ・ヴァラドン《野うさぎとキジとりんごのある静物》1930年 油彩、キャンヴァス 73×92㎝ 個人蔵


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アート・バーゼル香港 [Exhibition]

香港で3月15日から3日間、世界最大級の現代アートフェア「アート・バーゼル(Art Basel)」が開催されていました。
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その様子がYouTubeにアップされていましたので、ご覧ください。

まったくばかげた作品やら、訳のわからないものまで。

とりあえず、楽しんじゃったもン勝ちですよね。

現代アートなんて。。


(c)AFP
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ロバート・ラウシェンバーグ [Artist]

以前にもロバート・ラウシェンバーグについては記事にしてますのでそちらも参考にしていただけるとありがたいです。

ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズ。
 
彼らがアート界に対して果たした功績は大きすぎます。
 
抽象表現全盛の時代にいきなりこんなものが出てきたわけですし、次の時代への橋渡しにもなったわけですし。
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ロバート・ラウシェンバーグは、1955年頃から「コンバイン(結合)・ペインティング」と呼ばれる一連の作品を発表し始めます。
タイヤや山羊などをキャンバスに貼り付けためちゃくちゃな作品は、当時では衝撃的でした。
 
一見するとゴミですものね。
 
改めて当時の作品を眺めても古さを感じるどころか、かっこいいなとすら思います。
 
 
アメリカの田舎の青年という感じのロバート・ラウシェンバーグのこの写真を見ていると、当時のアート化への反骨精神すら感じられますね。
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音楽の場合もそうですが、反骨精神から生まれた新しいものという、古きよき時代の遺産なのでしょうか。
 
 
ジャスパー・ジョーンズとの関係について本人が語る記事を見つけましたので、転載します。
出典元は不明です。
 
_________________________________
■ロバート・ラウシェンバーグがジャスパー・ジョーンズとの関係について語る1990年のインタビュー 
ラウシェンバーグのインタビューも、「わたしは常に自分の作品が――スタジオ内で何が起ころうとも――窓の外で起こっている諸々と似通っていて欲しいと思っていた。今もその気持ちは変わらない」などの力強い発言、自分の作品の値段が上がりすぎちゃって自分でも買えないよと内輪の冗談を言うんだよね、といった現代アートビジネスを考える上で興味深い話が読めるが、ワタシの場合(下世話な意味も含め)ジャスパー・ジョーンズとの関係について語っているところにやはり目がいく。

――あなたとジョーンズの関係を、歴史がどのように描いて欲しいと思われますか?

「(含み笑い)リッチに描いてほしい」

――どういう意味でしょう?

「もう金の話は終わったんだろう?」

――ええ。

「抽象表現主義に染まらなかったのは、わたしたちふたりだけだった。取り立てて反対はしなかったけれど、そのスタンスには全く興味が持てなかった。思うにふたりとも、彼らのアートには主情主義の色が強すぎる、と感じていたんだろう。それに、そう、わたしはストリートに出ていたし、ジャスパーは自分の心に入っていた。わたしの最初のブレイクは、誰も真面目に取ってくれなかったことだろうな。(中略)ジャスパーも真面目に取ってもらえなかった。一方わたしは道化師と思われていた。ふたりとも、とっつきのいい無害な変人だったんだ」

――前にも、あなたとジャスパーの関係について話したことがありましたね。あなたとしては、どの程度まで公表してもさしつかえないとお考えなんですか? ゲイのアーティストとその作品を抑圧する風潮がはびこる今この時こそ、堂々と喋るべきなのではないかと……。

「性的な問題については一切喋りたくない。その理由のひとつには……これ、オフレコかな?」

――公表できる範囲でおっしゃって下さい。

「わたしとしては、そっとしておいた方がいいと思う。別にわたしとジャスパーが、アーティストとして、また一個人として、愛し合っていたことを認めるのはやぶさかじゃないし、お互いがそれぞれの人生で一番大切な人間だった時期については、罪の意識も葛藤も感じてないよ」

――どうして二人は道を違えたのでしょう?

「有名税だ」

――有名税?

「社会的な意味の。かつては優しく、感じやすかったものが、ゴシップになってしまった。アートの世界にとって、ふたりの有名かつ有望な若者が恋愛関係にあるというのは、まったく未知の経験だったのさ」
_________________________________
 
ロバート・ラウシェンバーグの作品はこちらも参照していただけます。 
 


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