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少年アート  中村信夫 [BOOK]

初版が1986年ですから、もう20年も前の本ですが。
この著者も知らなければ、本も知らなかったのですが、本のタイトルに惹かれて読み始めてます。

著者がアートと関わることになう経緯を話しているのですが、高校卒業後、ロンドンに行って、ひょんな事からかぐの学校に行くことになり、ロイヤル・カレッジ・オブ・アーツ(R・C・A)という大学に行くことになり、そこからアートの世界と関わる事になっていく経緯が書かれています。

ここの出身者には、デビッィト・ホックニーやロン・キタイ、リチャード・ハミルトンなどイギリスのポップ・アーティストがいます。


まだ読んでる途中ですが、それでも、学校時代に日本では考えられないような考え方をきっちいするようになるところなどは、とても参考になります。


一部を引用しますが・・・・

『友人のジョン・ルーク・ビルモスが言ってたのですが、「アート・ワールドに生きるというのは、勝ち抜いて行くことなんだ。」と。「ここの学生になった瞬間、お前は、アート・ワールドの渦中にいて、結局、外の世界で戦っているのと同じなんだ」と言われました。』



『美術史もサイエンスの歴史と同じで、70年代、80年代と様々な問題を抱えてきた、今我々が置かれている立場と、自分たちのクリエイトする場所、さらにストリートの知見を加えて、一番どこに研究が要されているのかを見極め、それ以上の子とをやったとき評価をえるのではないか。

歴史的裏付けのないエキセントリックな新しさは、ただユニークであるとか、流行の軸にそった微妙な差異であって、それはあくまで一過性の評価に過ぎない。違ったものを出すくらい簡単な子とはないんだ、とジョン・ルークは言う。

美術の枠内で、なおかつ新しいものは、死にもの狂いで、一生かけてやったところで、そうたやすくはつかめない。ジョン・ルークは考古学をやった。トニー・クラッグは数学を学んだ。そんな人間が、毎日毎日、長時間かけて、目隠しで床をさわったりするトレーニングを続けて、感覚を絶えず原点へと帰した上で作品を作っているのに、さっと美術館に入ってきた一般の人たちが、コレ良くない、コレは言い、なんてすぐ口にするけど、そんなところに我々の問題はないんだ、と彼は言う。

僕は、なるほどそういうことかと思いました。美術についての哲学を生きることがこれほどの覚悟と訓練のたまもので、アート・ワールドがかくも厳しいものか。すさまじいショックを受けまして、半年ほど、一切何も手がつけられなかった。日記もパタッと止まって、怖くて行き先を失ったのです。ジョン・ルークのような人間ばかりいる中で、自分がたまらなく恥ずかしかった。』



すざましいデスね。


ロンドンでは学生時代からプロのアーティストという意識があるんですね。
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タグ:中村信夫
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ピーター・ドイグ(1959年~ スコットランド出身) [Artist]

ピーター・ドイグ(1959年~ スコットランド出身)

新しい具象(ニュー・フィギュラティブ・ペインティング)の画家。
1958年にエジンバラに生まれる。幼少の頃にトリニダード・トバゴ共和国、カナダに移り住んだ後、1979年から90年までにロンドンの数校の美術学校でアートを学ぶ。1994年にターナー賞にノミネートされるなど、イギリスのアートシーンを担っています。

1970年代アート界では、世界的に展開された【コンセプチャル・アート(観念芸術)】によって、アートは難解なものになり停滞の時期を迎えていました。

1980年代になると、このモダニズムの閉塞的状況を打開しようとするムーブメントが世界的規模で同時期に起こります。

「絵画らしい絵画」を表現したい画家たちとそれを観たい大衆との欲求が一緒になったのでしょうか、一大ムーブメントになり、アート界に活気がもたらされました。
絵画に再び「内容」や「意味」が復活し、何を描くかということが大事なテーマになります。



ドイツでは「新表現主義」 アメリカでは「ニュー・ペインティング(バッド・ペインティング)」 イタリアでは「トランス・アヴァンギャルド」と呼ばれました。

この時代のニュー・ペインティングは、巨大なキャンヴァスに奔放で激しく力強い筆触・自由で大胆な色遣いで描かれているのが特徴です。
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アンセルム・キーファー



アンセルム・キーファーやジュリアン・シュナーベルの作品を見て分かるように、マティエール(画肌)やテクスチャ(質感)に大きな特徴があり、それがまた鑑賞者に対する訴求力を高めています。
そして、1990年代になると、「新しい具象(ニュー・フィギュラティブ・ペインティング)」のアーティストたちが登場してきます。


「新しい具象」のモティーフは、実際に起こりうる(経験・体験)ことや、すでに経験したことです。身の回りの日常を描いています。しかし日常を日常のまま描くのではなく、メディアの写真・広告写真・映画のワンシーン・絵葉書・ポスター・他の美術品などを利用して、具象でもあり抽象でもあるようなあいまいな世界を描いています。


「新しい具象」は私たちにとっても、『何処かで見たことがある』『行ったことがある』という思いが湧いて作品に入り込んでいくことができるような作品が多くみうけられます。


この「新しい具象」が発生する背景として、80年代の「ニュー・ペインティング」と平行して、「シュミレーショニズム」と呼ばれる美術運動がありますのでご説明します。



シミュレーショニズムは、1980年代のニューヨークを中心に広まった美術運動で、近代芸術の唯一性(アウラ)に反対し、大衆芸術のイメージを、カットアップ、サンプリング、リミックスといった手法を用いてアプロプリエーション(appropriation、盗用)することを特徴とします。



シミュレーション・アート(simulation art)、アプロプリエーション・アート(appropriation art)とも呼ばれる。



その背景には、ジャン・ボードリヤールが『シミュラークルとシミュレーション』で指摘したように、オリジナルとコピーの区別が消失し、コピーが大量に消費される現代社会の様相があり、簡単にコピーができる虚しさや寂しさをある意味で表現していますが、オリジナリティーという芸術の基本的な問題に対しての疑問もていきしております。



映画の一シーンのような情景を演じたセルフ・ポートレイトを撮影したシンディ・シャーマン、ウォーカー・エバンスの写真を複写して自らの作品としたシェリー・レヴィーン(Sherrie Levine)、ジェフ・クーンズなどが代表的な芸術家とされています。



ここのアーティストに関しては改めて、記事を書くつもりでおりますのでお待ちください。
日本においては、美術評論家の椹木野衣が1991年に著した『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』における論説が、芸術家などに大きな影響を与える一冊であり、管理人も推薦する図書であります。


この「シュミレーショニズム」を経ての「新しい具象」はきわめて個人的なテーマが多く、ピーター・ドイグのように、自分の経験や記憶から得たインスピレーションに誘発され、自身が撮り溜めた写真や広告写真や絵葉書などを利用して心象風景を描いています。そして次のようにも語っています。



「僕は自分の絵をリアリスティックなものなどとは全然思っていない。僕の絵は、目の前にあるものからというより、むしろ自分の頭の中から生まれたものだと思っている。」------「ART NOW」(タッセン社)より



写真(映像)には、瞬間的に現実を捉え固定(記録)する面白さがあります。
19世紀に発明され、再現性という側面で絵画より一歩先に出た写真は発展を遂げ、1990年代には映像や写真がアートとして認知されます。
今では、絵画並みの価格の写真も多数存在します。


「新しい具象」の画家たちは、写真の視覚的な面白さを利用し、それを再び手わざで再現しました。
さらに物質的な(絵具)面白さも加えて、写真のような絵画、現実のようで現実ではない「物語空間」、具象の中に抽象的な要素を取り入れた新しい絵画にアプローチし、表現手段としての絵画のヴァリエーションを広げています。
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ピーター・ドイグ
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エリック・フィシェル [Artist]

1948年ニューヨーク生まれのこの画家を知ってる人はそれほど多くそれほどはないと思う。

でも、アメリカではエドワード・ホッパーと並んでかなりの有名人のはず。

1975年初個展を開いたこの画家は、ニューペインティングの作家として日本でも紹介されました。

エドワード・ホッパー的な雰囲気のその絵は何故かとても懐かしい感じがして、とても好きです。


でも、裸の子供や家族が遊んでる風景が多く、「フロイト的」だと言われる。

ホッパーのポルノ版のような絵と思って貰えればいい。



今、どうしてるのか分からないが、1987年マンハッタンのビルのパブリックスペースで、この巨大な絵を初めて見たときは衝撃でした。

何とも言い難い不思議な画だ。

だれも、まともには解説できないだろう。


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1983年作のこの絵画は、274 X 198センチメートルもある巨大な絵ですよ。想像できます?


あるサイトの言葉をそのまま引用します。

新表現主義の一人としてかぞえられていますが、どちらかといえばアメリカン・シーンのエドワード・ホッパーと比較される存在。
そのペインタリーな画面は、いわゆる日本人好みのはずなのですが、今一つ知られていないのは、所蔵品が少ないせい? 
それとも日常生活や性のタブー視されがちな分野での題材のせいでしょうか?
私たちの意識や認識の枠を超えていこうとするアーティストなのですが…


今手元にある画集と、作家本人にインタビューした本をもう一度じっくり読んでいようと思う。

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