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森の王  あるいは自画像 [ essay]

今、木場の東京都現代美術館で展示されているジュリアン・シュナーベルというアメリカの作家の作品を見に行ってきました。。

たった、一点の作品を見に行くため、クルマで一時間かけて木場まで行き、駐車料金払って、入場料500円払って、見てきました。


1980年代のアメリカ現代美術のスパースター。

1951年生まれですから今年で60歳。
今は映画監督として有名です。
その絵はばかでかく、凶暴で・・・そしてとても力強く。
なにしろ本物の皿やカップが画面に貼り付けられているのですから。
大きさは285×585cm。

タイトルは「森の王」。
画面中央に冠をかぶり、右手に件を持つ森の王が立っています。
彼は自らの地位を脅かそうとする狙うものを殺そうと、森をさまよってます。

1984年の作品です。
1970年代後半、当時の現代美術の世界は「コンセプチュアルアート」と「ミニマルアート」の狭間で、絵画は瀕死の状態だった。
そこに物語性を持った具象絵画で一躍、時代の寵児に躍りでて、アートシーンの頂点を極めた若きシュナーベル。
この絵は、まさに彼自身の孤独な自画像かもしれない。

この圧倒的な強さを持つ絵画を見ていると、他のことはどうでも良くなってしまう。
3039284_1288666510_103large.jpg
この作品を東京都現代美術館が買い上げたのは2000年代になってかららしいから、おそらく億単位の金を支払ったと思われますが、とにかく私にとっては、わざわざそこまでして見にいく価値のある一品です

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カオスラウンジ [Artist]

Chim↑Pomと並んで、最近話題になってるというか、問題を起こしてるアーチストにカオスラウンジというのがあります。

梅ラボこと梅沢和木、美術家黒瀬陽平、日芸大学生、藤城嘘からなる現代アート集団で、08年から10年における活動は若手現代アーティスト集団として最大の勝ち組に入ります。

彼らの活動コンセプトは以下の引用の通り
<宣言文>
ゼロ年代と呼ばれたこの十年、日本のアートは何も生み出さなかった。

 今、われわれの目の前に広がっているのは、欧米を真似たアートフェアの乱立によって作られた、ありもしない国内アート・マーケットの表象と、助成金を喰い物にしながら無限に繰り返される慈善事業だけである。
 この風景は、ゼロ年代の幕開けに突きつけられた、日本のアートについての問い(「日本ゼロ年」、「オタク」、「スーパーフラット」……)を徹底的に無化することによって成立している。
 ゼロ年代に入って、ますますわれわれの生活を変容させた情報化の進展は、あろうことかアートにおいて、日本と世界の格差を埋めるものとして、きわめて楽観的に解釈された。 日本のアートはアクチュアルな文化であることをやめてしまった。
 アーティストたちは「物」に充足することで、「情報」から目を逸らし、ナマな文化の営みに身を晒さない。無根拠なアートの神秘性によって身分を保障されると同時に、小器用な職人として囲い込まれている。
 「悪い場所」は再び隠蔽された。 ゼロ年代の間、CHAOS*LOUNGEは地上に姿を現さなかった。なぜなら地上は、本当は焼け野原であることを知っていたからだ。
 Google、2ch、mixi、Flickr、YouTube、ニコニコ動画、Twitter、Tumblr……、CHAOS*LOUNGEはネットの中で、主にアーキテクチャと呼ばれるインフラストラクチャーの変化と共に存在していた。
 そこは常に、膨大に、匿名的な想像力がうずまき、作品未満の作品、コンテンツ未満のコンテンツが現れては消える場所であり、にもかかわらず、作者性に目覚めてしまった有象無象の集う場所である。
 増殖を続けるアーキテクチャは、アートの神秘性を認めない。そこでは、すべてが可視化され、分類され、操作可能となる。 内面などない。知性も感性も、すべてはアーキテクチャ上で、システマチックに組み立てられてゆく。
 人間の内面は、アーキテクチャによる工学的な介入によって蒸発する。 CHAOS*LOUNGEから生まれたアーティストは、それでもなお、地上に脱出することはなかった。なぜなら、地上で生み出されているものはアートではないと知っていたからだ。
 彼らは、アーキテクチャによる工学的介入を、一度は徹底的に受け入れる。アートに神秘性などない。人間の知性も感性も内面も、すべては工学的に記述可能である。
 しかし、彼らは、アーキテクチャによる工学的介入の結果に対し、さらに人為的に介入を試みるのである。 彼らは、アーキテクチャによって、自動的に吐き出される演算結果を収集する。
そして、自らがひとつのアーキテクチャとなって、新たな演算を開始するのだ。
CHAOS*LOUNGEは今、ようやく、ここに姿を現す。 単なる「情報」でも「物」でもない、アーキテクチャ時代のアート、すなわち、一〇年代のアートとして。







宣言文を読む限り、納得です。
この考えにも、いずれ時代が追いつくと思います。
ただ、その活動には当然法律や社会の常識に判する行為が必ず伴います。

かつて、ゼロ次元という前衛アート集団がいました。もう40年以上も前です。
その活動の中で行われてることが、たくさんの問題提起をし、いくつかは法律に抵触しています。

公道での全裸パフォーマンスや、赤瀬川源平の「千円札裁判」。判決は、「これは芸術であるけれども犯罪です」。

カオスラウンジにおいては、著作権や、商標権、肖像権を持つコンテンツホルダーを無視して、ネット上に合法、違法を問わずアップされているイメージデータを自分の作品として無断使用することなどが、特に問題になり、Twitterなどネット上に炎上状態です。
354637084.jpg
それまで、カオスラウンジを擁護していた、村上氏やイラスト投稿サイトのpixiv(ピクシブ)なども怪しい動きをしております。
HidariZingaroでは、掲載していた一部作品画像について、
著作権ホルダーからの申し立てにより、削除されたようでが、このあたりは仕方ないでしょうね。


そのような問題はあったとしても、久しぶりに宣言文を見ちゃいました。
アートをアートたらしめるだけの、コンセプトがここにはあります。

確かに、彼らの言うとおり、ゼロ年代は結局何も生み出さなかったのかもしれない?
売り絵と、欧米に見栄を張るためだけの慈善事業だけが主流の今の日本のアートマーケット。
村上氏やギャラリストの小山氏などの活躍によって、日本にも現代アートのマーケットが出来てきたものと思われてましたが、マスコミや行政も含めてアートフェアだ、助成金などといわれると違和感を感じてしまいます。
中国のように国の威信をかけてアートを保護するのとも違い、また、欧米のようにお金持ちの社交場としてアートが位置づけられてるのとも違う日本の現実。

かつての「悪い場所」へ再び舞い戻ってしまいそうな予感もあります。
では、日本におけるアートマーケットってなんなのでしょう?
所詮、日本ではアートなんか必要ないのか?

いずれにしても、この一〇年代のアートに期待です。
また、この問題は今後も追い続けるべきテーマでもあります。


ちなみに今回このサイトがカオスラウンジを知る上で、非常に役に立ちました。
https://sites.google.com/site/eqbnizld/home
よく出来たサイトです。作者はどなたか分かりませんが、カオスラウンジを非常に憎んでる(?)ようです。今後の更新に期待します。

(ちなみにこのサイトのレイのプロフィール写真もネット上から検索して適当なのを持ってきてます)
1307544480.jpg

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赤松晃年個展「THE☆AKAMATSU」 [Exhibition]

最近は中野へ行く機会が多くなりました。

HidariZingaroで開催中の赤松晃年個展「THE☆AKAMATSU」

流行の女の子をテーマにした作品ですが、作家の真摯な態度が気に入りました。

今後どのように成長していくのか分かりませんが、楽しみなアーティストですね。

Mr.の一番弟子世のようです。
http://hidari-zingaro.jp/category/exhibitions/solo_ex/the-akamatsu/

村上氏、本当に200人出しちゃうかもね。
yanasegawa.jpg

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