ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter) [Artist]
ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932年2月9日 生まれ)はドイツの画家。 現在、世界で最も注目を集める重要な芸術家の1人であり、若者にも人気があり、ドイツ最高峰の画家とされている。
美術史のうえで、かなり重要な位置を占めるこの作家に対して、さほど興味も持たずに接してきた私です。
このように重要なアーティストを記録しておくためにもこのブログを更新しているわけですが、後日整理しなおして自分なりの美術史評を描くことが目下の目標です。
現時点でゲルハルト・リヒターについては、初期のこの「階段を降りる裸婦」くらいは知っていますが、ポップアート世代の一人くらいにしか思っていませんでした。
彼の仕事を理解するにはこれからいろいろ勉強せねばならないと思いますが、絵画にとって写真はやはり驚異ですね。
ビデオは物理的な時間を孕んでいるので、あまり気になりませんが、写真が登場して以来、中世までの現実や事件の伝達手段としての絵画の役目は終わり、肖像画としても絵画は写真に精度が劣る。その様な中で、絵画の不可能性/可能性を求める試みを探っていくというのは、どんな画家にとってもある意味ひとつのテーマであるわけです。
逆説的に、「現実」や「真実」だと認識され、信奉されている事柄を、絵画を用いて根底から揺さぶり、考え直させるような、コンセプチュアルな雰囲気が彼の作品には見られます。
美術史のうえで、かなり重要な位置を占めるこの作家に対して、さほど興味も持たずに接してきた私です。
このように重要なアーティストを記録しておくためにもこのブログを更新しているわけですが、後日整理しなおして自分なりの美術史評を描くことが目下の目標です。
現時点でゲルハルト・リヒターについては、初期のこの「階段を降りる裸婦」くらいは知っていますが、ポップアート世代の一人くらいにしか思っていませんでした。
彼の仕事を理解するにはこれからいろいろ勉強せねばならないと思いますが、絵画にとって写真はやはり驚異ですね。
ビデオは物理的な時間を孕んでいるので、あまり気になりませんが、写真が登場して以来、中世までの現実や事件の伝達手段としての絵画の役目は終わり、肖像画としても絵画は写真に精度が劣る。その様な中で、絵画の不可能性/可能性を求める試みを探っていくというのは、どんな画家にとってもある意味ひとつのテーマであるわけです。
逆説的に、「現実」や「真実」だと認識され、信奉されている事柄を、絵画を用いて根底から揺さぶり、考え直させるような、コンセプチュアルな雰囲気が彼の作品には見られます。
ダグラス・ゴードン (Douglas GORDON) [Artist]
1966年英国グラスゴー生まれ。84-88年グラスゴー美術学校、88-90年ロンドンのスレード美術学校に学ぶ。既存の映像を操作してちがった文脈の中に置くことによってその意味を変え、見る者の固定観念に揺さぶりをかける独特の作品を制作。96年ターナー賞、97年ヴェネツィア・ビエンナーレでは2000年賞受賞。近年は、グラスゴーとベルリンを拠点に「場所の特性」よりもむしろ「心理」や「記憶」をモチーフに、フィルム、ビデオ、絵画、テキスト、パフォーマンスなどさまざまなメディアを用いた作品を発表している
(Copyright (c) Dai Nippon Printing Co., Ltd. 1999)
ヘルマン・ニッチュ(Hermann Nitsch) [Artist]
どのような経緯でこの作家にたどり着いたのかわかりませんが、なぜか人気あるようですね。
私自身は生理的に受け付けない部分があるのですが、確かにこのような方向もありとは思いますが・・・・
説明はウィキペディアからまま引用します。
ヘルマン・ニッチュ(Hermann Nitsch、「ニッチ」「ニッチェ」とも。1938年8月29日 - )は、オーストリアの実験的なマルチメディアアーティスト。アクショニストまたはパフォーマンスアーティストと呼称される一方で、画家、作家、作曲家としても多方面で活動している。
1938年、ウィーン生まれ。1950年代後半、ニッチュは「The Wiener Graphische Lehr-und Versuchanstalt」においてグラフィックアートの教育を受けた。当初はアクション・ペインティングへの傾倒を見せたが、1960年代、動物の臓物や死骸や血を用いた、過激なパフォーマンスアートを始める。過激な身体加虐、自傷、性器損傷を伴うパフォーマンスを展開したギュンター・ブルス、オットー・ミュールとあわせて「ウィーンの三羽烏」と呼ばれ、この3人にルドルフ・シュヴァルツコグラーを加えた4名をウィーン・アクショニスト(ウィーン行動主義派、ウィーン・アクショニズム)と呼ぶ。彼らウィーン・アクショニストは共同作業を多く手がけ、ニッチュはその一人として、伝統的な芸術ジャンル外での活動を目指したが、その過激さゆえに度々投獄され、裁判沙汰となっている。
ニッチュはパフォーマンス中に、明るい赤や栗色、青白い灰色などのペイントを叩き付けた抽象絵画を作成。この色彩は身体の切断を象徴し、絵画作品としては制御された暴力という主題を表している。
さらに興味のある方はここに詳しく出てますので参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘルマン・ニッチュ
でもこんなカルト教団の儀式みたいなことがアートとして認知されているんだから凄いな・・
私自身は生理的に受け付けない部分があるのですが、確かにこのような方向もありとは思いますが・・・・
説明はウィキペディアからまま引用します。
ヘルマン・ニッチュ(Hermann Nitsch、「ニッチ」「ニッチェ」とも。1938年8月29日 - )は、オーストリアの実験的なマルチメディアアーティスト。アクショニストまたはパフォーマンスアーティストと呼称される一方で、画家、作家、作曲家としても多方面で活動している。
1938年、ウィーン生まれ。1950年代後半、ニッチュは「The Wiener Graphische Lehr-und Versuchanstalt」においてグラフィックアートの教育を受けた。当初はアクション・ペインティングへの傾倒を見せたが、1960年代、動物の臓物や死骸や血を用いた、過激なパフォーマンスアートを始める。過激な身体加虐、自傷、性器損傷を伴うパフォーマンスを展開したギュンター・ブルス、オットー・ミュールとあわせて「ウィーンの三羽烏」と呼ばれ、この3人にルドルフ・シュヴァルツコグラーを加えた4名をウィーン・アクショニスト(ウィーン行動主義派、ウィーン・アクショニズム)と呼ぶ。彼らウィーン・アクショニストは共同作業を多く手がけ、ニッチュはその一人として、伝統的な芸術ジャンル外での活動を目指したが、その過激さゆえに度々投獄され、裁判沙汰となっている。
ニッチュはパフォーマンス中に、明るい赤や栗色、青白い灰色などのペイントを叩き付けた抽象絵画を作成。この色彩は身体の切断を象徴し、絵画作品としては制御された暴力という主題を表している。
さらに興味のある方はここに詳しく出てますので参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘルマン・ニッチュ
でもこんなカルト教団の儀式みたいなことがアートとして認知されているんだから凄いな・・