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山本太郎 [Artist]

山本太郎

と言っても、国会議員ではなく画家の山本太郎。

彼の作品に興味をもったのはだいぶ前のことである。
日本画の技法をで現代日本POPのようなへんてこな絵を描いていた。
印象に残っているのは、松だったりケンタッキーおじさんだったり、コンビニエンスストアだったり・・。
とにかく、今の風俗、風景にこだわりアメリカナイズされた日本文化とと、日本古来の伝統的な様式をミックスした作品を描いていた。
VOCA展にも入賞してるらしい。
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山本太郎氏 1974年熊本生まれ。2000年京都造形芸術大学卒業。大学在学中の1999年より、伝統と現代、異質な文化が同居する「ニッポン画」を提唱し、日本の古典絵画と現代の風俗が融合した絵画を描き始める。近年は能楽の影響もあり、古典文学の物語性が題材に加わる。秋田公立美術大学准教授。




「琳派400年」と「スーパーマリオ30周年」を記念して、「風神雷神図」(俵屋宗達作)をモチーフに、「スーパーマリオ」のキャラクターをアレンジした「マリオ&ルイージ図屏風」が、10月23日(金)より、京都市の美術館「えき」KYOTO(ジェイアール京都伊勢丹7F)で開催される。

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サイ トゥオンブリー「紙の作品、50年の軌跡」 [Artist]

サイ トゥオンブリー「紙の作品、50年の軌跡」

先日やっと、原美術館行ってきました。今月末までですので、まだ見てない方は早めにどうぞ。

サイ・トゥオンブリーに関しては、以前の日記も参考にしてください。
http://ayanamirei.blog.so-net.ne.jp/2015-04-01-1

デビューはロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズらと同様、抽象表現主義のまっただ中、彼らとの違いは当時評価されず、ず~と不遇の時代を過ごしたこと。


認められたのは1980年代に入ってからです。
その間、自分の信じる道を一人黙々と作業してたわけですから、すごいですよね。

この展覧会では初期の作品から2000年代の作品まで見られましたので、サイ・トゥオンブリーの求めていた世界が少しは垣間見れたようです。

サイ・トゥオンブリーの作品はオークションなどでも高額で取引されていますが、正直誰も正当に彼の評価をできるとは思いません。
美術史上で何かの役割を果たしたわけでもなく、どちらかというと歴史に背を向け、一人孤独な作業に邁進したわけで、それなのにこれだけ評価されるとは幸せなアーティストだと思われます。


作品を年代順に少し並べてみます。
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1949年

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1955年

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1966年

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1978年

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1990年

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2001年

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2010年


どうです。

基本的には何十年も変わらな作品を作り続けています。

初期の40年代の作品はさすがに抽象表現主義の影響をもろに受けておりますが、彼にとっては冷たい抽象表現主義だけでは足りなっかったようで、なんとかポエム、詩的な要素を画面に盛り込もうと苦闘してるようですね。

80年代以降、自分の中でも吹っ切れたのか、突然具体的なテーマが登場します。

例えば花にしか見えないような形とか・・・

初期の実験的な絵画から、晩年はほんとうに子供の落書きにしか見えないような作品になっていきますが、そこは経験上見せるポイントをわきまえており、鮮やかな色の対比や質感に感動します。

ネットや図版を通してはわかりませんが、コレがアートかと感じられるのではないでしょうか?そういう意味では直接作品をご覧になってください。キット今までと違う見え方がすると思います。


最後にサイ・トゥオンブリの言葉を引用します。
「私は流動する物事を見せているのです」「作品は孤立したものではありません、ひとつのシークエンスなのです」「私は完全な抽象主義者ではありません。思考の背後に物語がなければなりません。私が詩人たちを好きなのは、圧縮された文章を発見できるからです。」

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アンゼルム・キーファー セゾン美術館  [Artist]

アンゼルム・キーファーの作品を久しぶりに見た。

「革命の女達」
14台のスチールベッドが置かれた部屋で再現されていたのは、殉死した歴史上の女性たちの存在だ。

まるで、地下の墓場のようなこの部屋で、ベッドは鉛で覆われ、彼女帯が今まで存在したであろうようにベッドは窪み、不在の肉体の痕跡としてその窪みには水が溜まっていたりと、とにかく言葉では表現しきれない悲しみと、ナチスへの怒りなどを感じる。
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この部屋があるだけでもこのセゾン美術館に来る意味はあるだろうと思わせるくらいの衝撃的な作品だ。
しかも私自身何度もこの作品は見てるにも拘らずだ。


そして場所を移して見えてくるのは、大作「オーストリア皇妃エリザベート」
560×380センチの作品だ。

コレにもびっしり鉛が貼りつけられており、女性の髪の毛が中央に・
オーストリア皇妃エリザベートに何があったのか、その歴史的な背景を知らなくても、この異様な雰囲気は見れば感じられる。

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ちなみに調べてみました。オーストリア皇妃エリザベート。
ハプスブルク家最後の皇妃として名高いエリザベートであるが、
ドイツのバイエルン王家ヴィッテルスバッハ家傍系に次女として生まれました。

王位継承権からは遠く、公務とは無縁の彼女は少女時代、自由闊達に過ごしていたそうです。
姉のヘレーネとオーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフとのお見合いの場へ、母と付き添って行ったエリザベートですが、そこでオーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフに一目惚れされたようで、皇妃に。

そこから運命の歯車は狂っていったようです。
結婚翌年には長女を生むのですが、病死させてしまいます。

姑との確執のなかで身長170cm、体重50Kg、ウエスト50cmという
プロポーションを維持していたそうです。

そして、このプロポーションを維持する為、相当な無理をします。
また髪の毛は、卵入りコニャックで毎回3時間もかけて手入れしていたそうです。
しかし、年齢にはかないません。エリザベートは若さを失っていくにつれて人前に
顔をさらすのを極端に嫌がったそうです。

しかも息子のルドルフは、母から拒絶されていると感じており、サイガは自殺してしまいます。
エリザベート自身もイタリア人アナーキストに刺殺されます。61才の時です。

皇妃にさえならなければまた違った運命だったのでしょうが、死ぬまで美にこだわったエリザベートの何をキーファーは表現したかったのかはわかりません。がこの作品からはやはり歴史に翻弄される一人の美しい女性の悲しみを感じ取れます。

軽井沢までお越しの際はぜひセゾン美術館まで足を運んでみるのもいいと思います。


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