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池田満寿夫 知られざる全貌展 [Exhibition]

初台のオペラシティ ギャラリーにて開催中の池田満寿夫展

我が家にも初期の作品のポスターが額入りで何点か展示し、版画もある。
好きで好きでしかたのない作家です。
ただし中期まで。

今日、最晩年の作品も含めじっくり鑑賞してきました。
http://www.operacity.jp/ag/exh90/

1997年没。63歳。そのマルチな才能は美術だけにとどまらず芥川賞作家、映画監督など多彩な顔を持つ。

しかし、今回改めて展覧会を見ながら感じたことを書いていきます。
会場最初の部屋には晩年93年頃の陶芸作品が。
「陶芸に関しては守るべきものは最初から何もない」という言葉どおり形にとらわれない自由奔放な作品に仕上がっている。
作者が表現したいモノのごく一部は感じ取れる気もするのですが、感性が違うからか、私には美しさも感動も感じられなかった。特に同年作の3部作「天女乱舞」という打ち掛けによる巨大なコラージュ作品は駄作です。
晩年のこのような作品のイメージがつきまとい、私には若かりし天才版画家 池田満寿夫が駄目になったという思いをずっと持ってます。

次の部屋ではデビュー前の模索時代の油絵などの展示ですが、今回未発表作品もあるみたいで初めて見たものもあります。
当時の流行や芸術の潮流から様々な試みをしており、まさにこの時代独学で美術を学んでる様子がよく分かります。
オリジナリティーはありませんが、作者の思考や力量を感じられて良いですね。

そして、版画家として世界的に認められることになる作品が次々と誕生する訳ですが。
特に62年作「動物の婚礼」

これ凄いです。世界が認めるはずです。
このドライポイントの線、表現はものすごい力強さがあります。
ココから65年のベネチィアビエンナーレでの大賞受賞までの一連の作品は、何度も何度も見てきたはずなのに力強く、新鮮です。

その後様々な表現を求め、リトグラフ、メゾチント、コラージュなどそれなりの評価を得られる作品を作ってきた訳ですが、芥川賞受賞を契機にマルチな活動を続ける訳です。
芸術家池田としては同じところにとどまれません。様々な表現を求め陶芸や油絵など一見純粋な芸術の道に向かってるように思われますが、そのすべてが私の目には嘘くさく見えてなりませんでした。

あんなに大好きだった池田が何故?
というのが正直な感想でした。
でも、最後の方の部屋で見かけた「地蔵」シリーズの小品は少しだけですが、池田が求めていたものが何なのか感じられました。94年の作品です。

そしてもう一つ95年の「壁」シリーズの3点。

陶芸作品というよりコラージュと行った方が良いような作品です。
これは良かった。ココにきて初めて池田の方向性が見えてきたんじゃないかと思わせるようです。
やはり彼のコラージュ作品は凄い。
コラージュの天才?

ひょとして、作家本人にとっては高校時代も売れてからの晩年も同じように表現をしていたのではないか?
そして何が良くて、何が悪いか。本人は分かっていたのではないか?
彼の著書を昔穴があくほど読んだ私としては、池田が芸術の善し悪しを分からないはずがないと思います。
たとえ自分の作品でも良くないものは良くないと分かってたはずです。
死の2年前、やっと見つけかけた新しい道。
もう少しだけ長生きしていれば、若いときに感動したような作品にもう一度お目にかかれたかもしれないと思うと、チョッピり残念です。

ボロフスキーも残念がっているように思えました。


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コメント 6

panda

私は初日に行きました。
 今回は「知らざれる全貌」とあるように新鮮な切り込みもあり、
展覧会の構成にもよりますが、もしかしたら
タッキー・ササキさん自身の感性も変化したからではないかしら。
 若いとき感動した池田満寿夫氏への評価が変わったのは
何かを得て、何かを越えたのかもしれないですし。

 私は池田氏のほとんど理解できない派ですが、彼の情熱的な
才能の断片の数作品には、サスガと思う出会いがありました。

 「天女乱舞」は「天の岩戸」を見慣れているせいか
あの中に 古代神話と女性美を池田氏が求めていたと思うことしか
出来ません。だって前川事務所のベタボレであんな大きな
タピストリーを作ることになってしまったので。

 別のベクトルからの鑑賞ということでTBさせてください。
by panda (2008-02-04 00:24) 

レイ

pandaさん

コメントありがとね。

池田は若いときからピカソにあこがれ、ピカソは一流だけど、自分は一流ではないという自覚をもっていました。
美術史上の一流とい意味ですが。

でも二流と自覚した上での作品があれだけ感動させられるものを作り上げたのは間違いないし、本人も一流のものを理解していたはずです。
それこそ一流と呼ばれる画家は美術史上10人にも満たないレベルです。
若いときは自分は天才だと思えるもので、天才でない自分に気づいてからが勝負です。

その勝負に池田は勝ったのに、なぜ売れてからピカソの亜流をしなきゃいけないのか?理解できませんでした。佐藤陽子と出会ってからの作品には何も見るべきものがないとすら思っております。

それが、今回最晩年の地蔵のシリーズなどを見て池田自身最後まで自分が救われることを望んでたのかなと思いました。
きっと、売れることと一流の芸術家のハザマで本人が一番苦しんでたんじゃないかと。

本物の芸術家であるが故、何が良いかを理解してしまい、商業的な成功に満足できなかったのではと。

そこが村上なんかとは決定的に違いますよね。古い世代の人間なんでしょうね。そんなことは関係なく、たとえばジュリアン・シュナーベルのように映画を何本も作ったりしていけばよかったのかも。

なんか、池田満寿夫と横尾忠則ってすごく似てるような気がするのは私だけなのでしょうか(笑)
by レイ (2008-02-04 13:23) 

みかん

池田満寿夫は私自身が「自分の表現」を見つけ出すまで好きだった
様な気がします。女性遍歴も格好良いと思った。
ただ、エーゲ海に捧ぐを見てからだろうな?
興味が薄れたのは、ある部分がその作家の全てを語る、みたく思えたのかも知れない。
日本にいた頃ほど私は彼に興味は無いです。
NYでの知人の奥様がリランと仲が良かったらしく、満寿夫と別れた後、リランがおかしくなり行方不明と言ってました。
今はどうか知らないけど。
そういう、所は「凄い」と思うな。
女性でのしあがった、スケベを力に変えた「男」ですね。
でも、今の自分はやはり興味無いです。
by みかん (2008-02-06 11:50) 

レイ

みかんさん

若き日の池田満寿夫は若者に勇気を与えてくれました。
だって何もないところからのしあがっていったんですよ。

今は、あまり興味ありませんが。
若き日のすごさは認めます。

そして女性に対しての奔走さも
by レイ (2008-02-06 11:56) 

みかん

シュナーベルは皿絵画以外は美術界でもう無視というか抹殺されてると思う。自分で描いてなかった事がばれてからね。
皿は自分で描いたのだろうけど、それにもう金持ちだから良いのかも。
でもxだろうね。私も興味ないし。
by みかん (2008-02-10 01:48) 

コタロー

リランさんのWEB
http://www.li-lan.com/
台湾、中国、米国で画家としてご活躍中です。

by コタロー (2014-05-21 09:39) 

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